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能力主義はイギリスの社会学者マイケル・ヤングが1958年の著書『Rise of the Meritocracy』の中で作り出した「メリトクラシー」に対しての訳語である。
多くの国の前近代において政治は貴族のものであり、生まれがそのまま社会的地位や職業に結び付いていた。
その後、近代化とともに「人はみな平等である」という価値観が拡がるようになると、その人の生まれや育ちではなく能力で人間の地位が決まるべきだ、と考えられるようになった。
元々ヤングの著書は「努力と知能指数で地位が決まると、その結果出現したエリートが大衆からかけ離れた統治を行うようになり、それを大衆が転覆する」という文脈の中でディストピア社会を風刺した内容で、メリトクラシーは皮肉的な文脈で使われていた。
しかし、この言葉が本来の使われ方を離れて拡散していく中で「生まれよりも能力を重視して地位を決めるシステム」という前向きな意味合いで使われるようになっていった。
とはいえ「結果として能力のアピールばかりが横行して、本当に能力がある人ではなくアピールが上手な人が出世する」「明確な基準値が無ければ不満を持つ人が増える」等メリトクラシーに対する批判は依然として数多く存在する。
日本、特に産業界では1960年代以降「従来の年功序列制度が国際的な競争力を育てる上で障害となっている」という考えから経団連を中心に議論されるようになった。
しかし「能力」と「経験」や「組織内での人的ネットワーク」は不可分の関係であることや、また年功序列制度は企業内の集団主義を保全する意味でメリットがあることなど、等複数の要因が重なり、結果として能力主義の導入が年功序列主義の牙城を崩すというにはほど遠い状況だったと思われる。
結果学歴重視、年功序列という特徴を持った「日本式能力主義」に変異して、長いこと日本企業の文化に残ることになった。
2000年代になってから成果主義賃金が注目されるようになり、現在個人の能力評価は「標準/平均主義」から「個性重視主義」へ変化していると指摘されるが、いまだに能力主義に関しては定義、基準値の設定などに課題のある組織が多く「あるべき論」の決着もついていない。
また、何よりも能力主義的平等が好きなはずのアメリカが格差を拡大させてしまい、階級格差状況を生んでしまっていることは非常に深刻な社会問題と言われている。
これからはポストメリトクラシーの時代と言われることもあるが、「能力をどう評価するか」という問題は企業組織が企業組織として今の形で続く限り永遠の課題と言えるだろう。
ちなみに日本の教育においては「読み書きそろばん」等の基礎学力は世界の中でも非常に高いレベルで成功しているが、それが産業の競争力に繋がっていないことが課題として指摘されている。
中長期的に産業の競争力にはどういう要素がどう繋がるのかを分析し、そのために学校教育とどう連携してスケジューリングするのかは国家としても大きな課題である。