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【フレッド・グラック(人名)】

フレッド・グラックは経営コンサルティング会社マッキンゼーの経営コンサルタントで、マッキンゼーの経営者を務めた人物。

1935年生まれ。大学時代はオペレーションズ・リサーチを研究し博士号を取得。
ちなみに大学時代は苦学生だったという。
その後ベル研究所に入所し、敵国から発射された弾道弾ミサイルを宇宙空間で迎撃するための核弾頭付きミサイルのプログラム開発を行っていた。
1967年、32歳の時にマッキンゼーに入社。
入社当時、ビジネスの経験がないのに歯に衣着せずに言いたいことはどんどん発言するグラックは異分子扱いされていたという。
コンサルティングプロジェクトにも入れず、また周囲からの評価も高くなかったが、あるプロジェクトの問題点を上司に具申したことをきっかけに出世街道を歩くようになる。

グラックが活躍していた1970年代のマッキンゼーは成長に陰りを見せていた。
BCG(ボストン コンサルティング グループの略称。ブルース・ヘンダーソンの項を参照のこと)や、そこから独立したベイン・アンド・カンパニーが戦略コンサルティングをサービス化して追い上げられていた時期だったのである。
グラックは1976年にディレクター、戦略コンサルティングサービスの責任者に就任する。
グラックはセミナー合宿やスタッフペーパーの配布などを通して、戦略コンサルティングサービスを提供するコンサルタントの育成と自社の独自性のある戦略立案フレームワークの開発に着手した。
ちなみに、この育成プロジェクトの中から頭角を現した人物に当時マッキンゼー日本支社に所属していた大前研一がいる。
この結果、3年後の1979年にはマッキンゼーの売上の半分が戦略サービスから上がる状況となる。

グラックはマッキンゼーが「組織改革コンサルティングの会社」から「戦略コンサルティングの会社」に変化していくのをリードする役割を果たした人物と位置付けられる。
その後、グラックを抜擢したロナルド・ダニエルの後任としてマッキンゼーの社長に就任する。

グラックが生み出した戦略立案のフレームワークで、2021年現在も生き残っているものはそれほど多くないと指摘されている。
しかし優秀な人しかいないマッキンゼーの中で、実力でのし上がって会社を変革したことを考えれば非常に優秀な経営者、コンサルタントであることは間違いない。

三谷宏治「経営戦略全史」より引用 筆者が一部加筆

 

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