HOME » 人財育成資料室 » 人材育成キーワード » 【イゴール・アンゾフ(人名)】
ロシア系アメリカ人の経営学者、オペレーションズ・リサーチの研究者。
ドラッカー、チャンドラーと並び1950年代~60年代の経営学の黎明期を代表する経営学者の一人で、その功績から「真の経営戦略論の父」と呼ばれる。
1918年ロシアのウラジオストックに生まれる。
1936年にアメリカに移住し、スティーブンス工科大学で物理学の修士号、ブラウン大学で応用数学の博士号を取得する。
その後アメリカ陸軍航空軍が設立したシンクタンク「ランド研究所」で6年間働き、この時に「多くの組織は近視眼的になってしまう」「非継続的な戦略的変革には組織的な抵抗が起こる」といった今後の研究テーマともなる着眼点を得ている。
1957年にロッキード・エアクラフト社で企業計画部門、ロッキード・エレクトロニクス社で副社長になり、赤字部門を収益部門化する功績を上げる。
この頃から学術誌に主に多角化経営に関する論文を掲載し始め、1963年45歳でカーネギーメロン大学産業経営学大学院の教授に就任。
その後、1965年に「企業戦略論」1971年に「企業の多角化戦略」1979年に「戦略経営論」といった経営戦略の世界で非常に重要な著書を発表する。
「現状(as is)」と「あるべき姿(to be)」のギャップを分析する「ギャップアプローチ」や事業組織間で相乗効果を出す「シナジー」といった概念はアンゾフが最初に提唱したものである。
また、アンゾフ・マトリクス(下記)を提唱したことも重要な功績として知られている。
アンゾフは方向性の定まらない多角化経営を批判しながら「どうやって多角化するか、また組織間や事業間でシナジー発揮の方向性を見出すべきか」という問いへの回答となるツールとしてアンゾフ・マトリクスを作った。
その上で④の多角化経営はリスクが高いため最大限のシナジーを発揮できるように経営するべき、と説いた。
アンゾフは「戦略経営論」の中で外部環境の変化度合いに合わせて企業の組織も同じレベルで変化しなくてはならない、つまり「戦略だけが先に進んでも組織だけが先に進んでも失敗する」と説いた。
このメッセージは同時代のチャンドラーとの議論のようにも聞こえる上に、後の経営戦略論における「ケイパビリティ派」と「ポジショニング派」の対立の答えを先読みしたものと言える。
三谷宏治「経営戦略全史」より引用 筆者が一部加筆